LICHT

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TAKAHIRO TSUCHIDA
DESIGN COLUMN Vol.3
Milton Glaser - I ❤ NY

「I❤ NY」というグラフィックは、1977年にミルトン・グレイザーによってデザインされた。当時のニューヨークは、数々のアーティストを惹きつける世界で最も刺激的な都市である一方、市の財政は破綻し、治安が悪く、観光客には敬遠されていたようだ。そこでニューヨーク観光局は、この街のイメージを向上させようとキャンペーンを行う。そのためのロゴのデザイナーに指名されたのが、第一線で活躍していたニューヨーク在住のグラフィックデザイナー、グレイザーだった。彼はキャンペーンが数カ月で終わるものと考えていたといい、この仕事を無償で引き受けている。

そんな時代背景を思うと、この「I❤ NY」には、誰もが好む街ではないけれどそれでも私はニューヨークを愛している、というニュアンスがあったのかもしれない。「LOVE」を「❤ 」で、ニューヨークを「NY」で表現したちょっと暗号めいた表現も、この街に慣れ親しんだ人の声という感じがする。フォントにアメリカン・タイプライターを選んだのは、ニューヨークがビジネスの中心地だというイメージからだろう。シンプルであり無条件で楽観的な印象を与えるグラフィックに、ホームタウンを誇る気持ちがにじんでいる。

その後、ニューヨークは徐々に危険な街ではなくなり、明るく文化的なイメージが先行するようになった。グレイザーによるロゴが、その変化にどれくらい影響したかを計ることはできないが、住民や来訪者の心に、ロゴのイメージが刻まれていったのは確かだ。さらにグレイザーもニューヨーク観光局もおそらく想定していなかったのは、やがてありとあらゆる「I❤ ……」が世の中にあふれていったことだ。そのようなアイテムを世界中の観光地で見かけるし、ファッションブランドなどがモチーフに使うことも多い。今や世界で最もたくさん模倣されたグラフィックデザインのひとつだろう。

中国製のありふれた形のマグに、このロゴをプリントしたものは、ニューヨーク土産の定番といえる。歴史的なロングセラーに違いないが、通常はグッドデザインの範疇で語られにくい。どちらかというと、デザイナーの清水久和が提唱する「愛のバッドデザイン」にふさわしい。自分がこのマグの魅力に気づいたのはそれほど昔ではなく、2010年頃のミラノサローネで、家具ブランドのヴィトラが新作展示にスタイリングしているのを見た時だった。コンテンポラリーなデザインの家具の中に、プロップとしてスタイリングされていて、すっかり感化されてしまった。すぐ後にニューヨークに旅行した親類に買ってきてもらい、その後、初めて食卓で使った時の鮮やかな存在感が忘れられない。

土田貴宏 / ライター、デザインジャーナリスト

1970年北海道生まれ。2001年からフリーランスで活動。国内外での取材やリサーチをもとに、デザイン誌をはじめ各種媒体に寄稿している。

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